福島 2年目 : Interview transcription (in japanese), Otomo Yoshihide, may 28/29

大友良英氏とのインタビュー 2012年5月28日29日福島市にて

ドミニク・バーレイ: ド

大友良英: 大

ド: 彼はとっても、疲れていたね??とっても疲れているように見えたよ。

大:そうだね。野田さんのことでしょ??

ド:そう!野田さん。とってもつかれてたよ!

大:彼は死にそうだったよ!

ド:この二年目はどうだった??

大:去年と今年では、状況がぜんぜん違ったね。去年は、本当に大惨事、人的な大惨事の直後だったからね。誰も何が起きているか分かっていなかったから、一体何が起きているのかを、みんな考えなければいけなかった。重要だったのは、一つ一つ理解して、何をすべきなのかを考えることで、だからたくさんのクエスチョンマークがあったんだ。もちろん今年もまだ、たくさんのクエスチョンマークがあるけど、去年よりは少し良くなってきている部分もあるんだ。今は情報もあるし、状況判断もできているからね。もちろん簡単ではないけどね。色々分かった今、クエスチョンマークはどんどん大きくなって、問題はどんどん・・・

ド:大きくなっているんだね。

大:そう、だから僕たちは考えなきゃ・・・(お茶をだされ)あ、ありがとう

ド;ありがとう。

大:だから僕たちは2つの違うスパンで物事を考えなきゃいけないんだ。まずひとつは、短期的スケール、つまり明日のこと、来月のこと、今年のこと。もうひとつは、10年後、20年後、100年後のこと。こういう風に、二つの違うアプローチで考えなきゃいけないんだ。だから今年は、この2つのアプローチをとっているんだ。去年は、100年後のことなんて考えられなくて、ただ・・

ド:そのときのことだけだよね。

大:そう。今年、僕たちは遠い未来と近い未来について考えなきゃいけなくて、しかも色々なところや人たちの“間”についても、考えなきゃいけないんだ。たとえば、福島県と福島県以外のところの間にある問題とか、福島の人や、福島から避難してきた人、福島に残っている人たちの間にある問題とかね。今、避難している人と、残っている人たちの間では、衝突している人たちもいるんだ。とっても深刻な問題だから、僕たちはこの“間”で起きていることについて考えなきゃいけないんだ。だから、今年一番重要視しているのは、この“間”で起きていることなんだ。AとBの間で起きてること、CとDの間で起きていることってね。そして、いつもこのAとBの間にはとっても深い川・・・なんて言えばいいのかなぁ、深い溝があって、みんなお互い憎みあってるんだ。去年、僕たちは放射能に対して考えなければならなかったけど、もちろん今年もそうだけど、でも今年は人的な、もっと精神的な惨事として対処しないといけないと思うんだ。

ド:そうだね。みんなそれぞれ違う”立場”をとったり、違う考えをもっているよね。それはすごく感じるよ。日本でも、福島でも本当にたくさんの違った考え方やアプローチがあって、本当に異質だと思うんだ。共通点ももちろんあるんだけど、本当に違うんだよね。敵対心というか・・。

大:本当にそう!それが深刻な問題なんだ。

ド:それは福島だけ?それとも日本中で?

大:日本中でだね。もしかしたら、九州のほうでは気にしないかもしれないけど、福島近辺では本当に・・・

ド:それは政治的な問題??

大:いや、政治的な問題だけではなくて、・・・・もちろん政治的なことでもあるけど、どちらかといえばもっと精神的なものかな。みんな正しいことを言っているんだ。誰も間違ったことを言っていないんだ。たとえば、Aサイドは正しいことを言っていて、Bサイドはまた違う正しいことを言って、それでお互い対立して・・・僕にとってはすごく馬鹿げているんだ。だからみんな、物事を“見る”ために、距離が必要なんだと思う。みんなの考え方は、物事を近すぎるところから見た結果のものであって、でも僕たちはもう少し客観的に物事を見なきゃいけないんだ。でなきゃ、お互いいつもいがみ合ってしまうんだ。もちろん僕たちは、政治家でもないし科学者でもない。僕たちは色んな“考え方”を提案しているんだ。音楽や、アート、フェスティバルにはいろんな考え方を提案するという点で、とっても大きな可能性があるし、僕たちは物事をはっきり明言したり断言したりしないで、色んなアイディアを生み出しているんだ。そしてそれが、みんなの考えるきっかけになってほしいんだ。一番のアイディアは、旗を作ったんだけど、何もメッセージを書かなかったんだ。

ド:何も文字をかかなかったんだね?

大:そう、何も書かなかったの。旗は、いろんな色や形、大きさで、みんな色んな旗を作ったんだ。そして、この旗の前で楽器を演奏する人たちを募集したんだ。みんな話したり議論したりしないで、ただオーケストラとして楽器を演奏したんだ。最近、議論を始めるともめてしまうことも多いけど、音楽はもっと簡単に・・・

ド:平和的にね。

大:そう。音楽を通して友達を作るのはとっても簡単なんだ。僕たちはただ、このイベントでこの演奏のアイディアを提示しただけなんだ。僕たちは、こうしろああしろなんて言うべきじゃないんだ。僕たちは何も言わないで、ただ旗を作って掲げて、その旗と一緒に移動したり、ただそれだけなんだ。

ド;去年、君はオーケストラをオーガナイズしたよね?今年も一緒??同じオーケストラ?日本人のオーケストラ?

大:ほとんどは日本人だったかな。でも、多くはアマチュアのミュージシャンで、何人かプロのアーティストも呼んだけど、ほとんどの人はただ本当に募集をかけて集まってくれた人たちなんだ。僕もほとんどの人を知らなかったし、たくさんのアマチュア、プロミュージシャンが集まって、知ってる人は10%くらいの人かな。70%の人たちは、地元の人たちだったね。福島では、プロではなくアマチュアのミュージシャンだけで演奏したんだ。

ド:音楽はどうだった?“本物”の音だった??

大:もちろん。そして今年は・・・・、去年は確か・・・正確な数は思い出せないけど、260から280人くらいきたんだけど、今年はもっと集めたいんだ。何千人っていう単位でね。

ド:3000人くらい???

大:そう。そして、街のど真ん中で、オーケストラで演奏したいんだ。

ド:街のどのあたりで?

大:駅ビルの前かな。駅につながっている道路とか。この前、警察署に行って8月15日に、その道路でパフォーマンスできるように、交渉してきたところなんだ。だから、もちろん3000人集まっても大丈夫だよ!

ド:本当に大きなチャレンジだね。ところで、福島にこのイベントを調整する団体がいるの?どうやって準備したの??

大:去年はとっても大変だったよ。趣旨を理解している人も少なかったし。僕は、福島で育ったから福島にはたくさんの古くからの友達や学校からの友達がいて、彼らが手伝ったり助けてくれたんだ。去年のオーケストラが成功したおかげで、今年は福島の人たちも僕たちのことをすでに知ってくれているしね。もしかしたら、変なことしてるななんて思う人もいるかもしれないけれど、でも知っていることに変わりはないからね。今年は去年より成功すると思うよ。

ド:もしフランスから福島に来て楽器を一緒に演奏したいっていう人がいたら、それはできるの??

大:もちろんもちろん!ただ、来る前に考えなきゃいけないのは、放射能だね。福島の放射能レベルは、原発の近くほど高くはないけどね。

ド:昨日僕は、南相馬、小高、相馬にいたんだけど、空間線量計をもって線量をみていたんだけど、飯舘は高かったね。線量は、場所によって全然違うね。福島のほとんどは、安全なレベルだと思うけど、風や雨や天気で変わっていくしね。

大:そのとおりなんだよね。だから僕たちも、すべての情報を公開しているんだ。特に福島駅の前は。0.8だったかなぁ。

ド:この前日本人のエンジニアにあったんだけど、先週計った線量を教えてもらったけど、0.8から1.1だったよ。家族連れで来るのはどうかな。

大:来る人には、来る前に考えてほしいんだ。僕たちは、来てくださいとは言えないんだ。参加するかしないかは、自分で決めてほしいんだ。

ド:なるほど。市民としての決断だね。

大:来ないからといって反対したりしないしね。ただ決断したことを尊重するだけだよ。とても、ただ来て来て!とは言えないよ。1.0マイクロシーベルトという線量を知ったうえで、参加するかしないか決めてほしい。そうでないと、フェアじゃないからね。でも、建物の中は問題ないよ。

ド;ところどころまだ、直しているけどね!

大:そうだね。セシウムを体内に摂取してしまったら、それは問題だけど、今のところセシウムは地面の上だし、風が強くなければそう問題ではないと思うよ。

ド:君のプロジェクトの話に移りたいんだけど、今までのところ何人の人がかかわっているの?

大:今までで?(確認しながら)大体30人位かな。野田さんみたいに忙しく働いてくれる人もいるし、大体30から40人かな。その中でも主要メンバーは10人くらいかな。

ド:全員福島の人??

大:いや、半分は福島の人で、あとの半分は福島以外の人たちだね。僕とユキさんは、福島で育ったけど、今は東京に住んでいるし、彼女(その場にいた違う女性のこと)は福島に住んでいるし、みんな様々だね。野田さんみたいに、いままでまったく福島に関わりがなかった人もいるし、彼はこの状況でとってもハングリー精神を持っているんだ。昔ながらの福島の人の特徴として、福島出身かそうでないかいつも気にするんだ。僕は好きじゃないけどね。福島出身かどうかなんて関係ないからね。興味があるなら、いつでも喜んで迎えるよ。

ド:僕は東京で何人かのアーティストやミュージシャンに会ったんだけど、1年経ってから震災に対する意識がどんどん下がっているって、彼らは強く感じるって言ってたんだけど、どう??

大:もちろん、時間が経つと忘れてしまうものだし、特に福島から距離もあれば、興味が薄れていく人もいるけど、でも福島の人たちは簡単には忘れられないし、常に問題と一緒に生活しているんだ。だからさっきのAとBの話に戻るけど、福島と東京の人が理解しあうのも簡単ではないし、考え方も違うよね。特に、去年の5月と今年の5月の状況が違っていて・・・、だからこそどうやってこのAとBをつなぐか考えなきゃいけないんだ。

ド:それに、世界ともつないでいかないとね。アジアやヨーロッパとか。このインタビューでは、フランスともつながることができるしね。君はたくさんコンサートをしたり、講演したりしているよね。

大:それは、状況がひとつも良くならないから。20年後、30年後もこの問題と一緒に生活していかなきゃならないからね。

ド:だから解決策が必要なんだね。

大:もちろんこの先10年で科学者が放射能を取り除く技術を開発するかもしれない、わからないよ。でも、やっぱり問題は深刻で、僕たちはこれからもこの問題と向き合っていかなきゃならないんだ。たとえ福島にいなくても、フランスにいても同じ問題だと思うよ。

ド:だから JEROME NOTTINGER は、このプロジェクトにどうしても参加したいんだ。彼は、フランスでとっても有名で、この問題はグローバルな問題で福島だけの問題ではないって考えているんだ。福島で福島の人たちに起こったことではあるけど、僕たちはグローバルな問題として捉えているからたくさんの疑問、質問もあるし、どうにかこのプロジェクトに関わりたいと思っているんだ。

大:これはもちろんグローバルな問題でもあるんだけど、原発の問題だけではなくて、これはシステムの問題としても捉えなきゃいけないと思うんだ。20世紀、人々は大きなエネルギー施設を作ったり、テレビやラジオを通じて同じ情報やを手に入れたり、音楽だって同じものを聴くことができたり、みんな同じものやアイディアをもつことが20世紀に良しとされた考え方で、原発もこの考え方なんだと思う。でも、僕が思うに今となっては、間違いだったと思う。みんなもっと違ったいろんなアイディアをもつことが大切だと思うんだ。英語だと説明するのが難しいんだけどね。

ド:いや。とってもはっきりした考えだと思うよ。ぼくにはとっても理解できるよ。

大:僕たちの音楽みたいに、即興音楽の世界や、ノイズミュージックの世界観は、ポップミュージックの世界観とはとっても違っていて、ここ2,30年の中で、新しい生き方や生活スタイルを提案してきたと思う。ジョン・ゾーンやデュレック・ベイリーなんかは、シーンのど真ん中にいて大量に音楽を売ることではなくて、聞き手に身近なところでいつでも自由に誰もが参加できたりできるようなスタンスでやっていたんだ。望めばどこにでも自由にいけるような。とっても柔軟に人を受け入れるんだ。そんな風に僕たちは、これからの新しい将来や生き方を考えなきゃいけないと思うんだ。放射能のことや人的災害のことだけではなくて、もちろんこのこともそうだけど・・・

ド:グローバルな問題としてだね。質問があるんだけど、君のアートのパフォーマンスの方法で、この震災で変わったことはある?

大:去年は、本当に人生変わったと思ったよ。でも、たぶん、違う。震災前も震災後も同じ方法でやってきて、もちろん状況が変わってしまったからそれに対応する新しい方法やアイディアは考えたけど、基本的なアートに対する考えや音楽に対する考えは変わってないよ。まったく変わっていないね。ただ、震災前は小さいコミュニティの中で生きてきて、メインストリートをいく文化や大衆文化にはとっても失望していたから、自分のアートや音楽に関してはそんなに大げさに発表したり、情報発信はしてなかったんだ。一緒になりたくなかったからね。ただ、アンダーグラウンドの世界で生きていたかったんだ。でも、震災後は、この原発の問題に関してとっても罪悪感を感じているんだ。僕がこの問題をつくった張本人のように感じてしまうんだ。事故が起こる前に、この問題に関して話したことがなかったから。起こってしまってからは、少し変わったかな。閉じていた世界を開けたいと思うし。AとBの間をつなごうとしているかな。アンダーグラウンドとメインの間だけではなくて、すべてのところをね。そうでないと社会は変わらないからね。

ド:大きく発展させたいんだね。

大:ただ、自分が中心になってコントロールしたりはしたくないんだ。

ド:独裁者みたいな??

大:そんなの絶対いやだしね。興味ないね。ただ、真剣に世界を変えたいんだ。でも中国の文化革命のようにたくさんの人と争うのではなくて、友達に会って、話をして、そして違う考えを持つ人たちと次のステップを考えいきたいんだ。僕は、もう怒れる25歳の青年ではなくて、52歳で、若い人たちは違う方法で取り組んでいるかもしれないけど、僕はお互いの顔を見ながらじっくり話しをして、そして一緒に考えていくスタイルでやっているんだ。

ド:若い世代についてだけど、僕が話を聞いた人たちは、若い世代と上の世代には大きなギャップがあって、若い世代はあんまり関心がなくて、原発は1年前の出来事で、今はもうおさまってきているし、この問題に答えはないし一体何ができるんだって言う若者が多いって聞いたんだけど、君や僕の世代みたいに少し年齢が上の世代は、僕は44歳なんだけど、

大:44歳?じゃぼくと同じだね。

ド&大:はははは。

ド:僕たちの世代は、彼らの世代よりもっともっとこの問題に関心があるよね。それがギャップの一つなのかな。

大:同じことを感じるよ。これからの3年間で、若い人たちの考え方は変わるかもしれないって考えてるんだ。彼らはストレスや失望した気持ちを表現したり、吐き出す方法を知らなくて、攻撃的になったり暴力的になっていくんじゃないかなって心配なんだ。本当に、暴力的になっていく人もいるんじゃないかって、正直怖いんだ。でも、若者たちがなんでこんなにストレスを感じているのかも理解できるしね。僕も、彼らと話をして、一緒に考えていかなきゃいけないって感じているんだ。

ド;それは今後の君の目標だね。今、準備していない質問だったんだけど、聞いてみたくなったから聞いてしまったよ。ところで、ご家族は福島に住んでいるの?

大:僕の両親、82歳の父と79歳の母、が住んでいるよ。不思議なことに、僕の父親は福島出身ではないんだ。父は神戸出身で、母は横浜出身なんだ。特に僕の母は、シティーガールだったから、福島が好きじゃなくてね。母はダンスミュージックが大好きで都会的な女性だったから、福島に引っ越してきたときとっても大変だったみたいだよ。

ド:小さい街でね。

大:そうそう。ダンスミュージックもないしね。でも、もう二人は40年以上福島に住んでいるから、たくさんの高齢の方がそう感じるように、もう引越ししたくないんだ。ただ、今までしてきた生活を守っていきたいんだよね。

ド:すべての生活がそこにあるからね。

大:安心なことに、両親が住んでいるエリアは放射線もそんなに高くないんだ。

ド:それはどのあたり?

大:北東のあたりだよ。

ド:渡利?

大:いや、渡利ではないよ。

ド:渡利は高いよね。

大:そうだね。僕は渡利で育ったんだ。

ド:渡利は避難している人が多いよね。子どもたちの50%はもう、避難したって知ってた?

大:知ってるよ。渡利は高いよね。でも、僕の両親のいるあたりは低いからね。屋内では、0.lマイクロシーベルトで、屋外でも0.3-0.5マイクロシーベルトくらいだから、大人には大丈夫なレベル。

ド:彼らにとってはね。

大:でも、去年は真剣に東京への避難を考えたんだ。3,4ヶ月経って、放射能レベルを計って、避難しないことを決めたんだ。

ド:簡単な選択ではないよね。今までの人生が福島にあって、そこから避難するっていうのは。

大:高齢者のこれからの人生の年数を考慮したり、僕の父は癌を患っていて、放射能のことをそこまで心配しなくてもね。とにかく、まだ多くの若者が福島に住んでいるけど、他の市や町に避難することは簡単なことじゃないし、避難しても更なるストレスもあるしね。僕たちは、避難するって決断した人がいたら、協力できるし、福島にとどまることを決めた人たちにも、協力できるし。避難するかどうかは僕たちが決めることではないし、みんなそれぞれの状況で考えて自分たちで決断しなきゃいけないと思うんだ。政府はあまり何もしないからね。僕たちは、福島の人たちに寄りそっているんだってるのが、基本的なスタンスだね。時には何か、意見を言うかもしれないけど、決して福島にいなさいとか、避難しなさいとかは言わないよ。自分で決断しようというのが、僕たちのメッセージですね。

ド:わかりました。お話できてよかったです。どうもありがとう。

大:どうもありがとう。

毎週月曜日 こちらのホームページからプロジェクト、“そのとき、福島で « Meanwhile, in Fukushima, »を聞くことができます。ぜひホームページをご覧ください。

http://fukushima-open-sounds.net/

http://www.facebook.com/FukushimaOpenSounds

ドミニク・バーレイ Dominique Balaÿ

transcription from English into Japanese by Hiroko Yasuda (many thanks !)


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Dominique Balaÿ

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